不定期

日記より長ったらしいものがあります。

今の日記が文字数制限あるのと、タグ使えないので隔離してる感じ。

いつ書くか、何書くか、全く不定です。

提出したレポートをうpしてみるテスト 2004/5/20
一般教養科目の日本史の課題レポート、女帝に関する本を読んでの要約と批評を

うpしてみる。題材はこんな本。授業無かったら絶対読まなかっただろう難しさ。

そんなのうpしても役立ちそうに無いけど。

提出バージョンと同じく、誤字はそのまま(ぉ
第1章 要旨

1−1
 
 2001年12月、皇太子ご夫妻、日本国民ともに待望していた敬宮愛子内親王が生誕した。しかし、皇室典範第一条にある「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」
と定められていることや、今上天皇の第二子である秋篠宮以降、男子皇族の誕生がない事により皇統断絶の危機は回避されていない。

 日本国史上には過去八人十代の女帝が在位した。しかしながら皇室典範は皇位継承権を皇族男子に限定している。これはなぜなのだろうか。

 現在の皇室典範は明治20年に制定、戦後2度の増補を得、昭和22年に新たに改定された。皇位継承権に関しては「男系の男子」と制限する旧皇室典範を踏襲している。
しかし明治時代前期には、官民双方から女帝容認が唱えられ、多くの議論をよんだ。

 最初に女帝容認規定を盛り込んだのは政府側であり、元老院によって規定された「日本国憲按」には男子優先ながらも女帝の即位を認めている。民間により起草された私擬憲法に含まれる皇位継承権規定にも女帝を認めたものが大半であった。それに関し著者、笠原英彦氏は”その背景には、やはり明治以前に十代の女帝が存在したという争えない歴史的事実が存在したからではなかろうか”と記す。政府系記者、福地源一郎も歴史的観点から女帝容認論を主張した。また、明治18年末、宮内省が立案したとされる「皇室制規」も女帝、女系天皇の即位を容認した。

しかし、その後「帝室典則」以降、女帝に関する規定は井上毅、島田三郎らによる、過去の女帝は摂位であること、女帝所生の皇子は夫の姓をつぐため皇位が別に移ること等の反対を受け、姿を消したといわれる。

 島田の明正天皇を例外として、女帝は全て「中継ぎ」であるという主張は本当なのであろうか。なぜ、今なお皇室典範は女帝を否認するのか。こうした問題を考えるため、今までの皇位継承の歴史を振り返り、そこから多くのことを学ばなければならない。


1−2 先例か例外か――八人十代の女帝

 古来、我国には八人十代の女帝が在位した。6世紀から8世紀にかけての古代の六人八代、江戸時代の二代である。そのため、明治以降女帝の即位の是非について熱い論争が繰り広げられてきた。だが、それまでは皇位継承に関し成文法が存在しなかったため、旧来の慣習、その時々の事情によって天皇の即位が決められてきた。笠原氏は、それまで確固としたルールがなく、その時々の事情に合わせられた事が、千年以上断絶なしに皇位継承が続いた理由なのではないか、と考える。

 つまり、旧皇室典範制定過程までは、柔軟な考えを受け継ぎ、男系主義、男子優先の考えが存在したものの、皇統断絶の危機ような状況に関して女帝が即位する可能性は残されていた。

 しかし、井上毅の過去の八人十代の女帝は「摂位」であり、先例ではなく例外である、という主張が出されてから、女帝は幼い天子が成長するまでの中継ぎ、「中天皇(なかつすめらみこと)」という見方が有力視されるようになった。だが、笠原氏はこうした説明に対し斉明天皇や持統天皇、元正天皇や後桜町天皇にはあてはまっても、他の女帝には当てはまらない、最初の女帝である推古天皇から「中継ぎ」といえるか疑問を投げかける。

 その最初の女帝である推古天皇、額田部皇女は敏達天皇の后であった。585年敏達天皇の崩御した後、同天皇の異母兄弟である用明天皇が即位するが、同天皇はわずか2年で崩御してしまう。その後、大后であった額田部と実力者蘇我馬子は協力し、崇峻天皇を立てた。だが崇峻天皇も王権の脆弱さを理解せず、猜疑心にかられた馬子が放った刺客、東漢直駒により暗殺された。

 これらの事態により、敏達天皇らの同世代者は炊屋姫(推古天皇)が残るだけとなり、大化以前の当時、日本では同世代内継承が一般的であったこともあり、592年、日本史上、東アジア初の女帝、推古天皇が即位した。また、それ以外にも推古天皇が即位する理由がある。まず、敏達が額田部に設定した大后の経済的、軍事的基盤となる私部がそれである。また推古が大后として激しい政争をくぐり抜けてきた執政能力も、群臣らの賛同を得るにあたって、重要だったと考えられる。また、当時の日本が中国や朝鮮に比べて、女帝忌避傾向が弱かったことも推古天皇が容易に即位できた一因と考えられる。

 推古天皇は38年間在位し、東アジア情勢への対応と王権の回復にあたった。聖徳太子信仰とよばれる後世の修飾により、太子が政治政治を主導したと伝えられているが、笠原氏は、実際には推古天皇の意向に従い太子と馬子の共同体制が敷かれたとみてよいのではないかと記している。

 聖徳太子が亡くなってから、推古天皇が皇太子を立てなかったため、推古天皇が崩御した後、田村皇子と山背大兄王の間で皇位をめぐる確執が生じたが、群臣らの意向を反映して、田村皇子が即位し舒明天皇となった。田村皇子は前述した山背大兄王に対抗するため、敏達の曾孫、押坂彦人大兄皇子の孫で、茅ぬ王を父とし、吉備姫王を母とする宝皇女を后とした。

 舒明と宝皇女の間には中大兄皇子、間人皇女、大海人皇子が生まれたが、舒明の死後、王位継承争いを回避するため宝皇女が即位し、皇極天皇となった。笠原氏は、皇極女帝も推古と同様に「中継ぎ」の天皇ではないと記す。その理由には、激動する朝鮮半島情勢と密接に関連した複雑な政治に対応したこと、乙巳の変による史上初の譲位、孝徳天皇崩御後の斉明天皇としての即位、つまり史上初の重祚の先例を作り出したこと等が挙げられる。

 斉明天皇の重祚に「中継ぎ」的側面を指摘する説があるが、笠原氏は有間皇子がいまだ15歳であったこと、一方の中大兄皇子が皇太子の地位にあったばかりか、年齢的にも遜色なかったことをあげ、それは説に与しないとする。

 斉明天皇が朝倉宮に崩御した後、中大兄がしばらく皇太子のまま称制を行い、667年都を近江大津宮に移し、ようやく天智天皇として即位した。しかし、その在位はわずか3年で終り、天智の弟である大海人皇子と、子である大友皇子の王位継承問題が切迫、古代最大の乱である壬申の乱が勃発し、それに勝ち抜いた大海人が天武天皇として即位した。
 天武天皇の皇后には後の持統天皇となるウ野讃良皇女がなった。天武の死後、ウ野讃良は称制を行いつつ、息子であり皇太子の草壁皇子を皇位につくことを望んだが、草壁皇子は病によって亡くなってしまった。しかし、草壁には阿陪皇女との子、軽皇子(後の文武天皇)がおり持統天皇はその軽皇子が成長するまでの時間稼ぎ、「中天皇」として在位した。しかし、持統天皇の大后としての執政経験、飛鳥浄御原令施行などによる執政能力はそれ以降の女帝とは区別されるべきである。

 その後軽皇子が即位し、文武天皇となり持統上皇の後見を受けたが、持統が亡くなり、文武も病で崩御すると、史上4人目の女帝、阿陪皇女が元正天皇として即位した。この即位は本来皇位につくべき皇子、首皇子が成長するまでの「中継ぎ」の天皇、中天皇としてだったことになる。

 その次の元明天皇として即位する氷高内親王も元正天皇と同じく首皇子が即位するまでの「中継ぎ」であり、氷高が選ばれた理由としては、氷高が未婚であり、皇位継承権争いに参入する子孫が存在せず、首皇太子に対抗する新たな競争者の出現を回避できたことがある。

 そしてついに、首皇子への譲位が実現し、聖武天皇即位となる。元正天皇は太上天皇として聖武の後見をした。その後聖武天皇と県犬養広刀自との間に安積親王が生まれると、皇太子の選定をめぐり緊張した空気が醸成され、親王に降りかかるであろう渦を取り除こうと、聖武と光明子との間に生まれた阿倍内親王を史上初の女性皇太子とした。

 そして聖武天皇が阿倍内親王に譲位すると、古代最後の女帝、考謙天皇が誕生する。考謙天皇は藤原氏の外戚政策の一環しての役割が強く、橘奈良麻呂の乱などを招いた。また未婚の女帝としての正当性や後継者問題、道鏡らの策動など様様な問題も招いたが、考謙は皇位継承権争いのためでも、中継ぎの為でもなく、結果として万世一系に連なる血統の論理を際立たせることで生涯を閉じた。

 この859年後、江戸時代に再び二人の女帝が登場する。1629年後水尾天皇の譲位にとも合い、中宮和子との間に設けられた興子内親王がわずか7歳で即位し、明正天皇となった。その即位の背後には、幕府が皇統に血を入れ政権基盤を頑丈にしようとした思惑があった。後水尾と幕府との確執の狭間に生まれ、東福門院猶子への譲位の役割を担った意味で「中継ぎ」の要素を備えている。


 そして最後の女帝は1762年、桃園天皇が崩御したため、智子内親王が後桜町天皇として即位した。しかし、後桜町即位には最初の時点で期限が決められており、英仁親王が10歳ぐらいに成長するまでの、まさに「中継ぎ」としての役割が朝廷から期待されていた。
実際、後桜町天皇は英仁親王が12歳になると譲位し、その後は40年以上にわたり後桃町、光格両天皇を後桜町院として背後から支えた。

 以上のように、八人十代の女帝を一括して「中継ぎ」、中天皇として、捉えることは出来ない。また八人の女帝には、在位中独身であり行為を継承する子孫がないことが共通しており、それは結果として皇統が男系主義によって受け継げられてきたことの所以でもある。

1−2

 旧皇室典範は明治9年元老院により起草された「日本国憲按」第一次草案を初めとし、欧州各国の憲法訳書を参考にしながら、第二次、第三次と起草されていった。その中、女帝の可否に関する方針は、第一次草案で女帝制が採用されたが、第二次草案で姿を消し、第三草案でまた登場するなど、二転三転した。

 これとは別に宮内省中心となって皇室法を制定すべきだと考える岩倉具視が内規取調局を立て皇族令を起草したが、山県有朋らから批判を受け先送りとなったり、プロシアに範を求めモッセ、シュタイン、ビスマルク、ロエスレルなどに影響を受けた伊藤博文が制度取調局を立て、女帝を容認した皇室制規を起草するなどしたが、その後宮内省が井上毅の案を大幅に取り入れた帝室典則では、女帝は否認された。

 そして明治21年に諮詢された皇室典範では、もはや女帝や譲位の問題は取り上げられず、女子皇族の摂政についての論争があるだけであった。

1−3
 
 その後、韓国併合などで朝鮮の王公家と日本の内親王婚姻問題などが取り上げられたり、若干の修正はあるものの、皇室典範は大きな改正を見ないまま戦後まで生き延びた。戦後、改革を推し進めるGHQにより皇室典範は国会の議決した憲法の下位法となった。

 その際、またも女性天皇即位について不十分ながらも議論が起こったが、結局見送られ、旧皇室典範を事実上踏襲することになった。

1−4

 現在、今上天皇第二子秋篠宮誕生以降、内親王、女王の誕生ばかりが続き、このまま現皇室典範の女帝を認めない立場を固持してゆくと、皇室断絶が危ぶまれる。各種の世論調査では女帝容認論が半数以上を占め、法の下の平等のを定めた憲法14条もあり、皇室典範改正の声が高まってきている。しかし、女性の天皇を認めた場合の皇婿問題、宮家創設、男女間の皇位継承順位など、様々な問題がある。また、女性天皇を認めた場合には、当然女系天皇が誕生し、日本の皇位継承の原則、万世一系の原理に変化が生じることになる。
 われわれは今、女性天皇を認めることにより、これまでに無かった女系継承というあらたな道を踏み出そうとしている。

第2章 批評と感想

 自分は、女帝についての授業を受け、この本を読むまで今話題になっている愛子様の継承問題について何となくは知っていたが、なぜ女性の天皇が否認されているのか、女性が皇位に着くには何をどう変えればいいのか考えたことが無かった。しかし、その問題について調べると、その今の女帝否認という法の背後には様々な継承問題、男尊女卑の風潮、権力争い、千年以上受け継げられてきた伝統など大変興味深い背景が存在した。

 特に興味深かったのは、子を産む役割が女性に与える様々な問題である。これは、今回の女帝に関してだけではなく、自分が興味を持つ心理学、戦後から強くなってきた男女平等の声、社会の仕組みなど様々な場面に関係している。もし、今後更に女帝容認の声が高まり、皇室典範を改正し、女性天皇が即位する可能性が出来るとなれば、これらの問題を無視して女帝を立てることは出来ないだろう。

 しかし、様々な問題があるにしても自分は女性が天皇になることは不可能であるとは考えていない。推古天皇をはじめとする十分な能力を持った日本の過去の女帝の存在、また現在もヨーロッパなどの国々でも女帝が存在している事実がある。これは、女性にも王を勤める能力があることを示しているとともに、もしかしたら過去、現在の法が女性の可能性を抑制しているとも取れる。男女の間には肉体的、精神的差があるのは間違いなく、それによってある程度の役割分担は決まってしまうかもしれない。だが、それは絶対的な差ではなく、その役割を外からの圧力で決め付けてしまうのは、大変もったいないことだと思う。

 ただ女帝を認めたからといって、日本社会の男女に対する外からの圧力の差が減ることはないと思うが、現在の日本の象徴的存在が男女間の権力差を無くすことは、何かしら日本全体にも影響を与えると思う。今までの伝統をやぶり、変えること自体が良いことではないと思うし、それは大変難しいことだと思うが、権力を持ち日本のまつりごとを行う人々には、その時々の状況をよく理解し、最善の策をとって欲しいと思う。そのためには、過去の事例についてよく知り、省み、今の状況に合わせ行動を決めることに合わせ、国際化が進んでいる中、日本だけでなく外国の事例も参考にすることが必要だと考える。

 自分がこのレポートを書くにあたって選択した笠原英彦氏の「女帝誕生―危機に立つ皇位継承」は私立大学受験レベルの日本史程度の知識しかない自分には、難解な用語、人名などや、深く詳しい解説などで何度も戸惑ったが、要旨をまとまるために何度も読み直しいくうちに、笠原氏の考える現在問題、これからの問題がよく伝わってきた。そして、それらの問題を考えるために、女帝制が確立しているいくつもの外国の事例をよく考察する必要も感じた。また、本の中では主に、女帝が立った理由、否認されたり理由が語られていたが、それを解決するためには何をしたら良いかも、これから女帝を容認するのであれば、詳しく具体的な案が必要だと感じた。果たして自分の存命中に、それら女帝容認に対する運動がどれだけ起こり、どれだけ変化するのか、大変興味深いところである。


 最後に自分のレポートを書く能力不足だが、今回のレポートは前半に文字数が多く、後半になると規定の文字数の関係で大変煩雑なものとなってしまった。これは次回への課題である。

 
総文字数 6099文字(改行等除く)
イラク戦争、捕虜虐待2004年5月5日
戦争について書くと、いろいろ誤解されないように詳しく書くのが

大変なのですが、GWということで書いてみるテスト。

テロ、アメリカ、そこら辺を。


戦争を始めた国、戦争を始める大きなきっかけとなったテロを受けた国。

よく聞く今の戦争の意義は、「テロと戦うこと」。

ブッシュ大統領が声高に、小泉総理も同じように言っています。

はじめは大量破壊兵器どうたらだった気がしますが・・・。


駄菓子菓子、だがしかし、テロは全然減りません。

そりゃそうだろうと自分は思います。


ブッシュ大統領のやっていること、アメリカのやっていることを見る限り、

彼らのテロと戦うというのは、直接テロをした人を弾圧、拘束、殺害、その他。

または、テロをしそうな人々を弾圧、拘(ry。


一見テロを無くすような努力にも見えますが、テロをする人達にとっては、全く逆効果、

士気高揚になっていると思います。


テロというのは、アメリカからの勝手な判断でありますし、

それが悪だというのもアメリカ側の判断であります。

テロをしている人側から見たら、アメリカの圧倒的な力で

自分たちを弾圧しているのが悪で、

彼らはそれを少しでも防ごうとしているのだと思います。


なので、アメリカの圧力が原因で起きているテロを、

同じ圧力で押さえ込めようとしても無駄だと。


自分には今のアメリカの行為は、例えるなら、生ごみを大量に放置し、

そこから出てきたハエをウザいと言って殺すけど、

生ごみの処理は全くしない。そんな奴。

原因を全く見ていないのです。


まあ、原因を直視するとアメリカ自体が否定されかねないので、

直視しないだけかも知れませんが。



今のアメリカのイラク等に対する圧力は、そのテロ行為への圧力をはじめ、

アメリカの利益の為の経済的圧力、アメリカ側が考える自由を

イラクに与えるための圧力いろいろあります。


それに対し、テロをする人々は、世界の世論に訴える経済力も、

アメリカの軍事圧力を振り払う軍事力も無いわけですから、

低コストで、無差別に、大量に殺すことが出来る爆弾などを使って

アメリカに比べたら小規模ですが反発するわけです。


ニュースを見ても分かるように無差別攻撃や、自爆というやり方、

アメリカ側から見たら非人道的というやり方で、効率的に訴えてる訳です。

それに比べて、アメリカの爆撃は死んでる人はテロより多いかも

知れませんがそれほどニュースになりません。


そんな危ないこと、リスクが大きいことは、

何にも嫌なことが無ければ誰もしないわけですが、今テロをしている人は、

現にやっているし、その後ろにはそうさせる原因となることがあるのだろうと思います。


そのテロ行為を悪といい、アメリカ側を正義とするのは自分は聞いてて

嫌な気分になります。大多数の正義と少数の正義では

大多数の方が勝ってしまうので、大多数が正義となり

少数が悪となるわけですが、

そんな正義を通していれば、少数の方が嫌な思いをし、

少しでも自分らの状況を良くするため、大多数を攻撃し、

大多数の方も嫌な思いをする訳です。

それが分からんのでしょうか。


周りに迷惑をかけるな、という倫理観がありますが、それだけが存在しているわけではなく、

自分が周りに迷惑をかけると、周りが嫌な思いをし、自分に仕返しが来るから、という理由があります。



まあ、そんなことでここまで長ったらしく書いた言いたいことをまとめると


ヲタを弾圧するな!仕返しするぞ!!


(゚Д゚)ハァ?

段落ごとに書きたいこと書きまくってもはやめちゃくちゃに・・・。


注:文章の中のアメリカという言葉は、主にアメリカ政府等、戦争推進派のことを言っています。

アメリカ人にも戦争反対者など、政府がやっていることに反対している人がいるわけで、

それらの人々を一緒にしているわけではありません。





MOK復活下準備 2004年4月22日
受験休みでずーっと書いてなかったので、どうなるか分かりませんが、

とりあえず、どんな事書こうかは、もわもわっと決まってます。


なので、具体性をはっきりさせるために題ぐらいをちょこちょこと書いておきます。

何か思ったことかがありましたら、どうぞ意見をお寄せください。

なぜ最近かってに改蔵が急変したのか?

しえちゃん、神崎さんをはじめ、砂丹の再登場などの登場キャラの増加、

また地丹人形、ファンブックなどの編集側からの扱いの変化、改蔵の目の変化etc

最近(定義が難しいのであいまい)の改蔵の急変化。


これらには、何の意味があるのでしょうか?

単純に久米田先生が苦しいから、とか打ち切りが近いからとか

言うことも出来ますが、MOKなりに深く、意味ありげに、と言ってもこじ付けですが

書いていきたいと思います。

大学でパソコン使えるから、落ち着いたらいっぱい書けるかも。


サブ

1、なぜ改蔵がモテモテキャラになったのか?
久米田先生自身の欲求が・・・

2、なぜ山田さん、砂丹の戦闘設定が続くのか?
単なるネタ用?

3、かってに改蔵の扱いはどうなるのか?
何気に人気あるのですよ。最近分かってきたっぽいけど。

4、かってに改蔵の未来、久米田先生の未来は?
無責任だけどいろいろ考えてみる。

5、羽美ちゃん・・・・・・・?
自分は羽美派なので特に心配です。

ショップオリジナルパソコン 2004年4月9日

いよいよ大学生活がはじまり、そろそろ新しいパソコンが欲しいお年頃。
やっぱり持っていくと言うことで、ノート。でも家でも不自由なく使えるよう、
高スペックのがほしい。
しかし、あまりお金が無いで、なるべく安いのがいい。
そこで、あがってくるのがショップオリジナルパソコン。
主に大きなパソコンショップが、自社ブランドで組み立てて販売しているものです。
それだけだとよく分からんので、
ちょっと自分なりにメーカー製とショップパソを比較してみたいと思います。

代表としてメーカーはDELL、ショップはドスパラ、それぞれノートブック型で、
それぞれ自分が満足できる性能のものにBTO(Build To Order?自分の好みに
合わせて、メモリ、ハードディスクその他を注文すること)して、比較してみたいと思います。
だいたい予算25万円で、出来る限り。
細かいところは書ききれないので、自分が気になる主な性能と値段だけを
HPからコピペしてつくりました。詳しくはそれぞれのHPで。
でもこの業界は変化が激しいので、みなさんが見てる頃にはもう変わってるかも・・・。
あくまで参考程度。
ドスパラ 勝敗 DELL
機種名 Prime Note Helios Pro 9700 Inspiron 5150
CPU Intel Pentium4 3.2C GHz (478pin/FSB800) HTテクノロジ モバイル インテル(R) Pentium(R)4 プロセッサ 3.20GHz
メモリ DDR SO-DIMM 1GB (512MBx2/PC3200/200PIN)
512MB(256MBx2)(ほんとは1GBにしたいけど、30万を超えてしまうので断念)
ハードディスク 80GB(4200rpm/UltraATA) 80GB HDD(初期60GBから変更)
光学ドライブ DVD-RAM/R Drive (DVD-Rx2/-RWx1/-RAMx2/ソフト付) DVD+/-RWドライブ(初期が+のみでイタイので変更)
ディスプレイ 15.0インチ TFT液晶 UXGA 1600x1200 15インチ TFT SXGA+ 液晶ディスプレイ
グラフィック ATI Mobility RADEON 9700 (AGP8x / 128MB) NVIDIA(R) GeForce(TM)FX Go5200 64MB DDR ビデオメモリ
OS Windows XP Pro(初期についてないので追加) Microsoft(R) Windows(R) XP Professional Service Pack 1 日本語版
重量 4.1Kg
値段 243894円(消費税・送料込み) 250215円(消費税・送料込み)

☆勝ち★負け*引き分け

こう見るだけだと圧倒的にショップの方が良いわけですが、話はそんな単純じゃ
ありません。当然ながら、大手メーカーの方が、サポート面、心理面で安心できますし、
パーツもきっと純正を使ってたり、競合などはかなり詳しく調べてそうです。
その分、メモリを増やす場合、安いものを使えるショップが強いわけですが、
ちょっと不安が残る。デザインも大手メーカーはいろいろありますが、
ショップのはノートの場合、種類も少なく、ふつーな感じのしかありません。
あとショップ製を学校に持ってったりすると、詳しくない人に説明するのに戸惑います。



(´-`).。oOSONYバイオの場合

A「パソコンどこの?」。

俺「ヴァイオだよ(ちょっと自慢げ)」

A「ヘェーヘェーすごーい!!」



(´-`).。oOショップの場合

A「パソコンどこの?」

俺「え?えーと・・・ドスパラっていうショップの・・・」

A「(゚Д゚)ハァ????」

俺「だから、ドスパラって言うパソコンショップの(ry」

A「パソヲタ必死だな(プゲラ」


・・・妄想ですけど。
でも、やっぱりショップ製が安くて高性能なのは、大きな魅力。
また今回はノートなので、あまりパーツ換えなど厳しいですが、
デスクトップだったら、そういうのはショップ製のほうが有利な感じ。

結論:今まで選択肢にショップ製が無かった方は選択に入れるのもありかと。
素人にはおすすめできないって感じがしますが・・・。
自分もショップ製に決めてるけど、まだちょっと不安が残り某掲示板などで
情報を集める毎日。
というかバイトして金ためてからにした方が・・・とらぬ狸の以下省略


(゚Д゚)ハァ?
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送